何故、大阪らんちゅうは絶滅したと言われているのか?

何故、大阪らんちゅうは絶滅したと言われているのか?

絶滅前にもいたと言われている三色大阪らんちゅうです

何故、大阪らんちゅうは絶滅したと言われているのでしょうか

又、なぜ、絶滅してしまったのでしょうか

何故、大阪らんちゅうは絶滅したと言われているのか?

何故、大阪らんちゅうは絶滅したと言われているのか?

「大阪らんちゅうの絶滅した原因」その①

一番大きな原因が大阪らんちゅうがもっている特性が大きく影響しています

  • 大阪の旦那衆の求めたものは希少価値
  • 模様魚と呼ばれているぐらい、形より色にこだわった

江戸時代天保年間の頃から約30年間は大阪らんちゅうの一大ブームが続いていました

そのころは大阪の旦那衆によってお抱えの金魚を世話する人(職人)がいました

珍しい金魚を作ると、旦那さんから家が一戸建つぐらいのご褒美(ほうび)をもらうことができたそうです

そのころのお金持ちは現在のお金もちの100倍の資産力があり、趣味の金魚に対してもを大金(年間3,000万円~5,000万円)を使って楽しんだようです

大阪らんちゅうが一大ブームになった天保年間は天保の大飢饉や大塩平八郎の乱など江戸時代の終焉(しゅうえん)の頃で、経済界においては明治時代の初期から中期にかけて商人から会社組織に変わっていった時代の激変期でもあります

明治維新によって日本の財界の中心が商人から会社組織に変化し、大阪の旦那衆に支えられ成り立っていた金魚職人の生活基盤がなくなりました

大阪らんちゅうの難しさは形にこだわると1,000匹に一匹、さらに色や模様にこだわると10,000匹に1匹というところにあります

金魚職人の技術は大阪旦那衆の潤沢(じゅんたく)な資金のおかげで磨かれ跡継ぎに引き継がれてきたのですが、旦那衆がいなくなることで金魚職人の技術も後世に伝えられず途絶えてしまったということです

昭和初期の太平洋戦争前には大阪らんちゅうは完全に本来もっている基礎を失ってしまっていたようです

らんちゅうの愛好家で陶芸家でもある故宇野仁松(にんまつ)氏によると、色にこだわりすぎてどうにもこうにもならない魚になったと表現されています

大阪らんちゅうは形より色を重視しすぎたために、特徴である丸尾を早い段階で生まれなくなり形も崩れていきました

品評会では胴長の大阪らんちゅうや短いらんちゅうなどの金魚が展示され、審査員も繁栄していたころの大阪らんちゅうを知らないので判断基準を失っていたようです

判断基準において、東京のらんちゅう(石川宗家)の判断基準と混ざってしまい、らんちゅうのような魚を大阪らんちゅうでも求めてしまったこともあるようです

大阪らんちゅうが絶滅した理由は、大阪らんちゅうを知っている人がいなくなったことが一番の理由だと管理人は考えています

「大阪らんちゅうの絶滅した原因」その②

「大阪らんちゅうの絶滅した原因」その②
東京のらんちゅうの人気

関西地方では宇野仁松(にんまつ)氏によって、東京のらんちゅうがひろまりました

模様づくりも形も崩れていた大阪らんちゅうは肉瘤があり形の整った東京のらんちゅうにとってかわり、さらに衰退していったようです

愛好家の中では大阪らんちゅうとらんちゅうの両方を飼っていましたが、らんちゅうを飼育する人が増加していきました

又、金魚の生産地である奈良県の大和郡山でも当初は愛知地方で飼育されていた伊勢らんちゅうを中心に生産・育成されえていましたが、東京のらんちゅうを飼育する一部の養魚家だけでしたが、次第に東京のらんちゅう生産・育成をするようになりました

「大阪らんちゅうの絶滅した原因」その③

「大阪らんちゅうの絶滅した原因」その②
大阪らんちゅうは固定化されていない品種

管理人は大阪らんちゅうはまだ固定化されていないと考えています

固定化されていないために、飼育する人間の技術レベルによって金魚の出来が大きく変わってしまうことが挙げられます

いい魚が作れる人がいなくなると衰退してしまう要素があります

大阪らんちゅうの飼育技術には現在では、ほとんどできる人がいない調色という技術もありましたが、後世に伝えなかったことも原因だと考えられます

絶滅前の大阪らんちゅう

まとめ

大阪らんちゅうは複合的な要素で絶滅しましたが、一番大きな理由は大阪の旦那衆に売れないので後を継ぐものがいなくなり大阪らんちゅうの飼育の秘伝を伝えられなくなったことです

大阪らんちゅうは絶滅したとされていますが、細々と生き残っているものもいるようです

補足

最後に戦争衰退説はあやまりであり、一部の篤志家(とくしか⇒こころざしのある人)が大正年間においても細々と飼育しているほどで戦争による絶滅説はあやまりで根拠がないと管理人は考えています

実は大正年間には風前の灯(ともしび)であったことは伝えなければならない事実であります

そして、絶滅していない個体が生き残っている?という説もあり、更なる調査が必要であると管理人は考えています

取材協力

板谷 広義 氏

参考文献など

金魚問答

昔の古い記事(詳細不明)

言い伝え

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何故、大阪らんちゅうは絶滅したと言われているのか?

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