絶滅前(戦前)の大阪らんちゅうの特徴とは

絶滅前(戦前)の大阪らんちゅうの特徴とは

昭和20年頃に大和郡山で飼育していた最後の大阪らんちゅうが全滅したことで、種が絶滅したといわれています

管理人も戦前は実体験していないので、文献や古老に聞いたことや断片的な言い伝えなどをもとに、戦前の大阪らんちゅうについて調べました

絶滅前(戦前)の大阪らんちゅうの特徴とは

絶滅前(戦前)の大阪らんちゅうの特徴とは

戦前はどういう特徴をもった魚だったかというと、顔が丸い金魚だったということです

四角い顔もでるが、まるい顔が標準形でした

丸い顔のことを丸頭(まるとう)と言われていました

大阪らんちゅうの飼育では有名であった故池山五郎氏が戦前に大阪天王寺で大阪らんちゅうを飼育や審査を行っていた5人の方に話を聞くと、形状は卵型のような容姿で背が少し低くく尾は平付けが標準だったそうです

審査で尾筒がほとんどないぐらいの魚でちょうど例えているのなら筒が腹に乗っかったような魚だったということです

また、鼻髭(はなひげ)があり背が高いのはよくないといわれていたそうです

「大和郡山での戦前の大阪らんちゅうの状況」

繁殖の基本の大和郡山では昭和10年から20年(昭和初期)では選別で目と口先が細いものを選んでいました

それによって更なる大阪らんちゅうの小顔化をめざして大正時代から大阪らんちゅうの基本的な見方を確立できずに大阪らんちゅうらしさがなくなってきました

丸尾の消失は明治の末期にはすでに始まっていたことが、残された絵からわかります

大阪らんちゅう

上記の画像は昭和10年に松井佳一先生が明治30年頃に書かれた絵をもとに作成された有名な画になりますが、明治30年頃には絵からもわかる通り丸尾は消失しています

明治36年に書かれた金魚問答以降は丸尾の大阪らんちゅうは1枚も発見されていません

明治36年ぐらいには大阪らんちゅうの基本がなくなってきていたようです

また、この頃にはいってきた東京のらんちゅう(蘭鋳)との比較においては、肉瘤(コブ)がでているものを関東ランチュウといい、コブの出ていないものを大阪らんちゅう(関西らんちゅう)又の名を関西ランチュウと呼んでいました。

東京のらんちゅう(蘭鋳)が大和郡山に入ってくるまでは大阪らんちゅうしかいなかったので、大阪らんちゅうをらんちゅうと呼んでいました

つまり、らんちゅうという名称すら大阪らんちゅうはこの時代に失ってしまったようです

全く、人気がなく売れなくなった大阪らんちゅうの特徴は口がとがり、肉瘤(こぶ)がない程度の2級品として扱われていました

「絶滅前の大阪らんちゅうの写真が一枚ものこっていない理由」

実は戦前の大阪らんちゅうの写真は一枚ものこっていない

また、近代金魚研究の第一人者(だいいちにんしゃ)の故松井佳一(よしいち)博士(明治24年~昭和51年)においても、複数の画(え)は残しているが写真を一枚も残していないというのは非常に不思議です

松井先生は早くから大阪らんちゅうが絶滅するのではないかとご自身で繁殖も行っていた人物でしたので、ジキンや南京、津軽錦などの写真は残しているにもかかわらず、大阪らんちゅうの写真はのこしていません

おそらく、この時代の大阪らんちゅうは写真を撮るほどの個体がいなかったということが正解だろうとおもいます

固定化されていない大阪らんちゅうは完全に基本を失っていたようです

「大阪らんちゅうの繁栄時代から衰退へ」

船場の旦那衆が大阪らんちゅうを飼育して大ブームになっていた天保年間から約30年間は大阪らんちゅうの繁栄時代だといってもいいです

この時代に大阪らんちゅうは久保利伊右衛門(くぼりいえもん)又の名を菊寿堂義信(きくじゅどうよしのぶ)という大御所がいた時代でもあります

久掘伊右衛門は90才ぐらいまで生き、大阪らんちゅうが発展させてきました

体格がしっかりしてて、およそ、体が2寸(6.06㎝)あると仮定したら胴幅が1寸3分(3.93センチ)以上が合格としました

金魚問答

(菊寿堂義信翁が書いた「錦魚そたて草」)

その後、大阪らんちゅうが衰えてきて書かれた文献が金魚問答です

金魚問屋の大鮫梅太郎氏が書き、事業家の三好音二郎氏によってまとめられました

金魚問屋と事業家ということはおそらく、商売のために書かれた本ということも考えられます

そのため、画はどちらかというとデフォルメされて魅力的に大阪らんちゅうを表現しています

金魚問答

「大阪らんちゅうの肉瘤」

 

大阪らんちゅうの肉瘤

文久2年の最古の品評会の番付表「金魚見立図」にもシシガシラという金魚の肉瘤を表したものが確認されています

明治大正時代に京都で飼われていた西京マルという金魚がいたそうです

これも大阪らんちゅうが京都にいって名前を変えたものだと管理人は考えています

マルとはおそらくマルコをさしているようです

西京マルも4,5才になると野イチゴのような肉瘤が頭に乗ります

池山五郎氏によって、再現された大阪らんちゅうもやはり5才ぐらいから頭に肉瘤をつけます

池山氏の大阪らんちゅう

(池山氏の大阪らんちゅう)

「池山五郎氏の復元のポイント」

池山五郎氏は大阪らんちゅうの復元の一番大切のポイントとして、えらは短いほうがいいとわれていたので選別もそのようにしたそうです

えらが短いほうが、顔が小さいと卵型のフォルムが強調されるためです

その点から見ても、東京のらんちゅうとは特徴が大きく違う魚になります

選別において重要な点は

  • 目幅がある
  • 目先がある

個体を残す必要があるということです

よく大阪らんちゅうの古い文献には目先がない文献がおおいですが、実際に目先のない大阪らんちゅうを残すと成長とともに目が飛び出てしまうカエルの顔(蛙頭かわずがしら)のようなものになることが多いです

蛙頭

大阪らんちゅうの文献などに書いている目先のないものというものはあやまりです

まとめ

取材をした人の中には昭和30年ぐらいまでは大和郡山にはおおさからんちゅうはかわれていたという話もあります

残念なことに金魚の中で一番安い魚だったそうで、生産しても全く人気がなかったようです

まったく同じ運命だった金魚として、弥富産のマルコも昭和30年頃までは飼育されていたそうです

取材協力

板谷 広義 氏

参考文献など

金魚問答

昔の古い記事(詳細不明)

いい伝え

 

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