戦後に目撃証言がある原種について迫る



浪花錦魚見立艦(なにわきんぎょみたてかん)・・・大阪らんちゅうの番付の絵

戦後に数々の大阪らんちゅうの目撃証言がありますが、大阪らんちゅうは一般的には戦後絶滅したと言われています

各地での大阪らんちゅうの目撃証言についてはまだまだ調査が必要です

そのひとつの要因が大阪らんちゅうマニアの方が10年ほど前に入手した金魚が代々受け継がれていると言われている大阪らんちゅうだったということです

それまで大阪らんちゅうの特徴と違うものが現れ、愛好家の間で研究されているようです

しかし、その詳細や歴史的根拠があるわけではなく確信に至るところまでいかなかったようです

それでは各地に残る言い伝えや古老の証言をもとに紹介していきたいと思います

東京での大阪らんちゅうの目撃証言

■東京での大阪らんちゅう目撃証言

昭和30年代東京の金魚屋にて大阪らんちゅうが販売されていたり、華族の屋敷跡にて大阪らんちゅうを細々飼育していたという話があります

東京で販売されていた大阪らんちゅうを古老が確認したところ、愛知県の弥冨で生産されていたものだということがわかりました

戦後大阪天王寺で大阪らんちゅうの品評会

昭和34年(1959年)伊勢湾台風の3年後に天王寺にて数名で大阪らんちゅうの品評会していたという古老の話があります

小さなサークルで細々と大阪らんちゅうの飼育がおこなわれていたようです

伊勢神宮近くで大阪らんちゅうを飼育していた夫婦

昭和30年~40年にかけて飼育していたご夫婦が伊勢神宮の近くに住んでて、大々的に飼育していたということを古老が見たそうです

当時は純血種のため産卵数は非常に少なく一回で200~300個ぐらいしか卵を産まなかったそうです

そこのおじいさんに梅酢で模様を作るということを教わったそうです

でも、絶対に大阪らんちゅうをゆずってくれることはなかったそうです

大阪富田林の旧家で野生化した大阪らんちゅうを捕獲

昭和52年に大阪の富田林の旧家で野生化した大阪らんちゅうを池山五郎氏が捕獲しました

近所の方の話では3代前のおじいさんが飼育していたという話を聞くことができたそうです

※参考記事:戦後、大阪らんちゅうの復元をめざした池山氏の40年間

新潟の話

平成20年頃新潟より原種と思われてる大阪らんちゅうが発見され、一部の愛好家は入手して調査しているそうです

まとめ

いかがでしたでしょうか

複数の目撃証言から考えて戦後絶滅説は少ないのではないかとかんがえられます

謎の多い金魚ですが、現在では復元された大阪らんちゅう戦前の原種という大阪らんちゅうも大差がなくいい魚になっていっています

大事なのは系統ではなく、特徴を踏まえた大阪らんちゅうを残してほしいと考えます

また、系統維持をすることも重要ではないかと考えます

※参考記事:絶滅前(戦前)の大阪らんちゅうの特徴とは
※参考記事:何故、大阪らんちゅうは絶滅したと言われているのか?

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