西川氏と大阪らんちゅう

西川氏大阪らんちゅう



西川氏は親子三代で大阪らんちゅうを復元してきた篤志家である。

幻の今は無き、名魚 大阪らんちゅう、別名関西らんちうという関西を代表するらんちゅうとして明治時代時代は全国的に飼育されていたらんちうであり、地方により呼び名は様々変化していった。

特徴で言えば系統図の丸子から分かれていったと松井先生はかんがえました。

つまり、

いつから大阪らんちゅうと言われた!?

いつその品種の特徴を備えたのか!?

そして、なぜ、隆盛をきわめた幻の名魚 大阪らんちゅうが絶滅したのか!?

これらの疑問は管理人は当時から尽きない疑問点でした。

今から10年ほど前に奈良県大和郡山市の西川養魚場に大阪らんちゅうのことを聞きに行き、資料と父吉則氏祖父繁太郎氏のことを大阪らんちゅう復元三代目吉朗氏にいろいろと聞かせていただきました。

今回は数回に分け西川氏のアプローチ・歴史・飼育方法など探りたいと思います。

大阪らんちゅうの特徴とは!?

獅子頭らんちゅうでは、石川亀吉氏の頃より 小判に尾ひれ といいますが、 大阪らんちゅうらんちゅうでは 卵にひれ と形容されました。

背なりはなだらかな櫛型で尾筒の短い胴体が求められます。 

顔について

丸頭・角頭ありますが、私は丸い顔の先が少し潰れたような顔を理想とします。

その家の魚、その家の顔があると思いますね。

髭について

近年の復元個体には花房と思われるような鼻孔の肥大した魚が見られますが本来の大阪らんちゅうは目面積よりも小さく品のある短い髭と言われる道具なんです。

模様は本国錦を基調色としています。

西川氏の資料・取材内容を元に歴史について

西川氏大阪らんちゅう

西川氏の父、祖父は戦争より復員され、池には20匹ほど二歳がいましたが水の事故により最後の生き残りとなった大阪らんちゅうを失ってしまいます。

その内容について父吉則氏は『わたしが復員してしばらくしてから、たぶん、4月、5月だったと思います。

いつものように早朝池を見回った時には気が付かなかったのですが、2度目に回った時、オオサカランチュウの二歳20匹尾いれていた池の異常に気づき、底に沈んでいた魚をあわてて取り上げました。

しかし、その時にはもう手遅れで息絶え絶えの2~3尾を除いてはすでに死んでいましたし、残ったものも手当ての甲斐もなく間もなく後を追い、結局一挙に全滅させてしまいました。

原因は窒息死でした。思えば水がたしかに濁りすぎでしたし、前日の給餌量が多かったのかも知れない。

また、いつも差し水をするのに、その日に限ってしなかったようだ。それより、もう少し早く発見していたらたとえ数匹でも助けられたかも… あれやこれやの思案も所詮後の祭りでしかありませんでした。

ともかく品種を絶やさないために心当たりを聞いてみよう。一縷の望みを託して、早速、和歌山市の同業の友人その他に照会しましたが、結局どこにも残っていませんでした。

私が最後の飼育者だったわけでついに万策尽きたわけです…。と

大阪らんちゅうは大正時代に衰退しており、昭和初期には数件の大和郡山業者で保存されてるにすぎす、戦後西川氏が生き残りが見つからず、あの名魚をもう一度観たいとの思いから、西川吉則・繁太郎氏は復元に取りかかりました。

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西川氏大阪らんちゅう

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