関東東錦の歴史

関東東錦とは昭和6年に横浜の金魚商加藤金蔵氏によって作出され、日本オランダに三色出目金を交配して作ったものです

特徴としては肉コブをもったものを選別淘汰していったキャリコオランダです

関東で流行して美しい色彩であったため東の錦として東錦と名付けられました

昭和30、40年らんちゅうの全国大会が開催されてから関東を中心にやや長め(長手タイプ)の東錦ブームが起こり、品評会が関東で開かれるようになった関東中心に飼育されていたために関東東(かんとうあずま)と呼ばれています

品評会では色彩にかなり厳しい制約があり、容姿はもちろん模様にまでこだわっていたため、優品は少なかったそうです

関東東錦の品評会での優品とされる特徴は

関東東錦は尾はなるべく全体が黒く染まり尾先にゴマ粒のようなものがついていて、線状のようになっていないその見た目から蛇の目(じゃのめ)と呼ばれています

下品とされている色彩に蛇の目ではなく尾に黒い線が入るものは審査で厳しく見られていました

体色は上から見て側線上(そくせんじょう)に赤が入っているものは評価が下がり、浅葱色(あさぎいろ)が基調色であるが、退色に固まった黒ではなく、碁石のように黒が散らばっているものも良しとされ、これはある程度は飼育技術で作ることができるため、これをゴマを飛ばすと言った。

東錦のあさぎ色

浅葱色(あさぎいろ)

尾はふんわりとした房尾が優品です

これが関東東錦の真骨頂です

あくまでも側線上にあさぎ色が基調色であり、邪魔をしない程度に黒い鱗が一枚一枚とんでいるもの、または無いものが良い。

また、所々、飾りとして数枚銀鱗がさした魚も喜ばれていました

銀鱗が数枚あるのを関東東錦ではと言っています

普通鱗ではなく透明鱗から出る銀鱗なのでに錦織のような美しさという意味から錦といいました

頭は面被り(めんかぶり)のように赤があるものが優品

3拍子そろった魚はなかなかでないので何千に一匹ぐらいの割合でしかできなかったのでむずかしさのある金魚です

らんちゅうと東錦の関係

昭和30、40年台もともと、東錦はらんちゅうの愛好家によって飼育されはじめるようになりました

当時の東錦の扱いはらんちゅうの水を作るための金魚といわれていました

現代はらんちゅうの飼育は更水飼育が基本ですが、現代と違い、昔のらんちゅうの飼育方法はこなれた水を良し(よし)としていていました。

東錦を飼育した水はこなれていて、らんちゅうを飼育するには絶好の水だとされていたためです

まとめ

関東東錦は品評会も行われていて、現在においても非常に人気のある金魚ですが当初はらんちゅうの飼育水をつくる金魚だったようです

特徴である浅葱色は一度は飼育してみたい金魚ではないでしょうか

参考文献

「實驗 金魚の愛玩と飼育法」 松井佳一 弘道閣 昭和11年

 

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. 11/7 関東東錦 3歳 22cm 24cm 森氏 #関東東錦

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当時の優品関東東錦

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