地金の歴史とその伝統

地金

 

地金の歴史

地金は尾張藩主が飼っていた大和(むかしは和金は大和とよばれていた)が突然変異した魚と言われています。

地金とはその地域の魚という意味です

明治時代初期には尾張から三河地方に広がり、尾張から三河地方、豊橋、明治時代の終わりには浜松に伝わっていました

1800年代から地金は飼育され、その時は名古屋地金魚(飼育の中心が名古屋だっため)と呼ばれていました

当時は特権階級の一部の人で飼育されていた特別な金魚でした

地金の年表

年号 出来事
慶長年間

1614年~

1615年

天野周防守(あまのすおうのかみ)が和金から人工淘汰(じんこうとうた)で黄金色で尾の立ち上がったものを作り、それが金鯱(きんしゃち)のような形であったので金魚の鯱と呼ばれました
文化7年

1810年

尾張藩主の秘伝書、蔵六五柳軒と書かれた書物にはしゅうかいどうのしぼり汁を発酵させ人工調色によって、魚体の腹に葵の紋を染めぬいて藩主に献上しました

この秘伝書には名古屋地金魚、地金と記載されています

地王(じおう)は牧田屋孫兵衛は十王堂付近にすんでいたので十王とも呼ばれた
明治8年

1875年

岡崎六地蔵で並べ会を開催した
明治36

1903年

現在の愛知県挙母栗寺村(現在の豊田市枡塚東町)の杉田久五郎氏粟久(金魚問屋)を創設し、杉田家は地金を代々飼育している家で200年ほど前から代々飼育していた
明治41年

1908年

御津の岩瀬 新吉氏は1908年、豊田の杉田銀次郎氏に師事して、地金を分けてもらい繁殖をはじめる

現代では、岩瀬氏の意思を受け継いで豊橋の若林 貞夫氏が保存に努めている

明治末期~

大正年間

 

杉田 久五郎氏の親戚である杉田 銀次郎氏が地金つくりの大家(たいか)であり、現存する地金のルーツです

松井 佳一氏が大正年間に地金を調査によると杉田氏その他数名のみ飼育が確認され絶滅寸前であってこれを保存と普及に努められたそうです

地金の大家に杉田氏のほかに有名な方として岩瀬 新吉氏(水戸出身)がいる

孔雀といわれた理由は東京に移入された時に秋山吉五郎によって孔雀と命名されたものです

 

昭和3年

1928年

三河金魚競泳会(みかわきょうえいかい)にて愛知県の特産金魚として愛錦(あいきん)と命名
昭和33年

1958年

 

四尾の地金保存会を発足し、稲垣 臺 氏(いながき うてな)が会長を務めていわゆる三河型の保存と改良に努められた

 

まとめ

地金も六輪も名古屋地方では天然記念物に指定されている特別な金魚です

なかなか、手に入れることは困難であること、飼育には鱗を剥ぐことなど地金、六鱗ならではの作業を要します

参考文献

「實驗 金魚の愛玩と飼育法」 松井佳一 弘道閣 (昭和11年)

協力者

若林 貞明 氏 

 

 

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