らんちゅうは明治期の初めから品評会が催される高級金魚です

戦前の東京地方のらんちゅう・尾島系らんちゅうの飼い方

古くは初代石川亀吉まで遡ります。

東京地方においても、現代一般的な更水飼育と青水飼育があり、本来は稚魚のとしての時から青水飼育が基本でした。

現代のような大きな魚ではなく15センチほどの卵型、小判型で腰の太い魚が喜ばれ、ゆっくり頭を作っていくスタイルであったといいます。

昭和16年 尾島茶尾蔵氏が味魚倶楽部作り、味を追及され、昭和21年 愛魚会となりました。

この頃から背幅と筒の太さ、大きさがメインとなり、審査員の人気者獲得して現代のらんちゅうへと変化していきました

宇野氏、太田氏、尾島氏はいわゆる戦前派の一面もあり、筒の太さよりも頭の出ているものを優先していました。 獅子頭で立派に大きく発達していることをまず、らんちゅうとしての要と捉えていました。

番付

大正時代の覇者で近代型の創始者と称えられる鈴木徳次氏の活躍が記録された番付です

竜頭の原型

東大関の鳳涛

鳳涛

友千鳥

また、大正時代から昭和初期、鈴木徳次、尾島茶尾蔵の頃には馬の背にらんちゅうを例え、現代でいっている丸胴について、竹筒のような背と表現され、峰がなく、低いものは背幅が出てくると骨格的な研究も進んで行きました。

鈴木徳次氏が大正時代に観魚会で覇者になり、所謂角頭に改良して人気になりました。 フンタンの丸く前に出た、龍付けというもので現代の竜頭の原型です。

しかし、鈴木氏以前はオカメ頭巾頭が基本であり、その2つを兼ね備えた福頭しかなく、古くから獅子頭とはいっていましたが現代からみればまだまだ完成していませんでした

盛田庄太郎氏、内田喜四郎氏らが、尾島系統を養魚家として繁殖、全国的に広まっていきました。

戦後、戦災等により、東京の石川宗家は壊滅的状態となり、宇野氏が残された尾島系統を送ったといいます。

尾島氏は戦災を間逃れ、親が生き残っりました。 戦後、関東の魚がガラッと変わったと宇野氏がいわれているのは龍頭の美しい尾島系統が普及していったからなのです。

らんちゅう種類と歴史

戦後、盛田氏も魚がほとんどいなくなったため、宇野氏の魚を千坂氏を経由して導入して、生き残りと掛け合わせしました。そのため、盛田氏の魚も時代により作出魚が時代により違うタイプをみせました。

宇野氏は血筋を守りながらも様々な交配をされ頭、胴、鱗、模様の美しく京都式と言われるらんちゅうを完成させ、宇野先生、後継者である御弟子さんにより獅子頭が完成と安定を目指したといいます。

現代のらんちゅう、様々な会がありますが獅子頭らんちゅうのはじりは東京からだったのです 

らんちゅうの特徴

らんちゅうの形態

体型

背びれのない体型は丸くなっています

古くは丸子(マルコ)といわれていました

尾ヒレ

特に尾ヒレの角度は体軸に対して鋭角に付いているのが特徴です

らんちゅう

肉瘤

肉瘤の頭頂部、眼下部、鰓蓋部(えらぶたぶ)の発達したものをししがしら(獅子頭)

頭頂部が著しく発達したものをトキン(兜巾)・・・山伏が頭につけているものと兜巾(ときん)から名付けられました

トキン

頭にベレー帽を被ったような可愛らしさ

山伏の兜巾

山伏の兜巾

獅子頭

獅子頭タイプのらんちゅう

獅子頭は御神楽の獅子のような顔になっています

鰓蓋部の発達したものをオカメといっています

オカメ

オカメの特徴的な魚

獅子頭タイプのらんちゅうになりますが、オカメが発達しています

特徴としてエラより前の頬肉(ほほにく)つまり、側(ガワ)が発達して御多福顔に見えるものをオカメといいます

明治時代から昭和初期までは福頭と言いました

らんちゅうの鑑賞のポイント

鑑賞のポイント

尾ヒレの形と尾をささえる尾柄です

 

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らんちゅう

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